『電波タイムズ』は、放送・通信を専門とする全国紙ですが、その放送100年企画である「放送ルネサンス」~わたしの提言・次世代につなぐために~で、インタビューを受けた際に、放送が果たした「知られざる功績」を三つ述べました。
一つ目は、戦前のラジオが、進学の道を閉ざされていた女性たちに学術に触れる機会を提供するために、女性向け教養番組を編成したこと。
二つ目は、戦後、社団法人日本放送協会に婦人課が設置され、再び多くの女性向け教養番組を放送したこと。
一つ目と二つ目は、NHKの番組でも取り上げられ、また、別の記事でも紹介しています。
戦前ラジオの女性向け教養番組については、こちらです。

戦後ラジオの女性向け教養番組については、こちらです。

ここでは、三つ目である「戦後の放送記者による独自取材の開始」について少し詳しく述べます。
実は、戦前そして戦中の放送(ラジオ)のニュースは、新聞社などから提供された原稿を読み上げることが主でした。当時、ラジオ放送をおこなっていた社団法人日本放送協会(現在のNHK=日本放送協会の前身)は、新聞社や通信社が書いた原稿を放送に合わせてリライトする程度のことしかできなかったのです。
独自の取材がなければ、放送の内容に対して十分な責任を持つこともできず、結果的に正しい情報を伝えることもできないといえます。また、放送が持つ本来の機能である同時性や速報性も生かせません。
こうした事情を背景として、1946年に放送記者という職種が誕生したのです。その目指すところは、新聞のような書き言葉による記事ではなく、ラジオ放送に適した話し言葉によるニュースでした。
しかし、放送記者が発足した当初は、何も既存の仕組みがないところからの取材開始であり、まったくのいばらの道であったと考えられます。実際に、私が駆け出しのディレクターだった1980年代の初め頃に、当時ベテランだった放送記者の先輩から聞いた話ですが、草創期の放送記者は、記者発表などがおこなわれている部屋に入れてもらえないことがあり、そんな時は、壁に耳をつけてメモを取ったそうです。
その後、ラジオやテレビは同時性、速報性を生かしてニュースをあまねく届けていくことになりましたが、その礎は多くの努力の上に築かれたものだったのです。

